第1回海岸線踏破PT  青森駅~大湊駅   2022年4月16日~21日     T.SAKAMOTO撮影
















『海岸線踏破PT』1日目に参加して                                                  (T.TUSHIMA提出)

もう50年以上前、高校の先生がよく言っていた。「チャンスの神様は逃げ足が速い。来たな!と思ったらためらわずに前髪をしっかとつかめ」。
 3月号のニュースに掲載されていた『海岸線踏破参加者募集』の記事を読んだ時、なぜかその言葉が思い浮かんだ。

  いつか、20km位歩いてみたいと思っていた。でも、今の私にできるのだろうか?足手まといになって皆さんに迷惑を掛けるのではないか・・・。けれど、日々短くなるテロメアは残り少なくなり、気力・体力は衰える一方。これから先、こんなチャンスが訪れるとは到底思えない。幸い青森出発だ。どうしても歩けなくなったらタクシーで引き返すという手もある。という訳で1日目(青森―茂浦)だけの参加をお願いすることにした。

 416日朝7時半、ホテルサンルートに参加者10人集合。16名は青森から茂浦に向かって、2班は茂浦から青森に向かって歩くことになった。2班(SAKAMOTOさん・NARITAさん・TUJIMURAさん・私)の4名は、朝早いのに来てくれたMITUKOさんに見送られて、NARITAさんの車で茂浦まで移動した。さすが養殖ホタテ水揚げ高日本一を誇る町、漁港には養殖かごが一面に置かれ、二階建ての大きな作業小屋がならんでいた。

8時半、いよいよ茂浦コミュニティセンターを出発。地元の方に聞いたところ、海岸沿いに道はないとの事だが、とにかく歩いてみることになった。
そうです。この会の目的は≪海岸線踏破≫なのです。集落から海岸に出て、山が迫った波打ち際を歩く。楕円形のゴロゴロした石の上はとても歩きにくい。無人島の茂浦島を横に見ながらしばらく行くと、向こうから大きいビニル袋を持った人が56人やってきた。ギョウジャニンニクを採ってきたのだそう。結構な収穫にほおが緩んでいた。彼らにも聞いたが、やはりこの先、道はないという。それでも進んでいくと今度はごつごつした岩場になった。「あれー、フノリある。しょっぱくてめじゃあ。」好奇心の塊のTUJIMURAさんはあっちに行ったりこっちを見たり、海岸歩きを十二分に楽しんでいる。が、バランスが悪い私は、転ばずに付いていくだけで必死だ。先が見えず、次の岬の陰が断崖絶壁になっていて茂浦まで引き返すことになったらどうしようと、気が気ではない。手がかり足がかりが小さく、海藻がへばり付いて滑りやすい岩をよじ登る所がでてきた。辛うじてクリアして、次の浪打集落まで海岸伝いに歩けると分かった時は、ほっとした。でも、それは運よく干潮時だったからで、もし潮が満ちていたら、歩けなかっただろう。

 浪打からはコンクリート道。安心して歩けることもあって、柳青める季節を楽しみながら、のんびり歩く。鳥のさえずりも聞こえてきて、SAKAMOTOさんがバードコールを鳴らすと、答えるように賑やかに啼きだした。土手の緑の中にひときわ目立つピンクのひと塊。NARITAさんがよじ登って確かめたら、気の早いヤマザクラの花だった。昨日の寒さとは打って変わって麗らかな春の日差しだ。バイパスを通らずにできるだけ海に近い道を進んでいくと、海岸近くの奥まった所に南国風の瀟洒な建物が1軒。レストランらしい。テラスで海を見ながらワインでも飲んだらいい気分だろうなぁと思ったが、残念ながら今は開いていないようだ。その向かいには白山神社という由緒ありそうな神社もあった。車がひっきりなしに通る国道4号線をやっとの思いで渡って、ほたて広場に到着。

 一休みして又海岸に出ると、潮干狩りを楽しんでいる人たちがいた。アサリが採れるそうだ。小さな漁港を通って旧浅虫水族館へ。小学生だった頃、遠足に来た所だ。もう、寂れて誰もいないんじゃないかな?と思っていたが、あに図らんや人も車も結構往来していて、お店も開いている。もっとびっくりしたのは、岸からずうっと離れたところにあると思い込んでいた裸島に、干潮時には歩いて渡れることだ。今回は行ってみなかったが、そのうち是非渡ってみたい。

 ゆ~さ浅虫に到着して昼食にした。連絡を取り合っていたSAKAMOTOさんが「1班、あと少しで来るよ.」と言うので窓から見てみると、こちら側に渡る歩道橋の所まで来ていた。もう私達の2倍以上の距離を歩いたということだ。さすが、歩く会の人は違います。これまでの情報を交換して、後半戦に出発。

浅虫の外れに善知鳥トンネルがある。いつも何気なく車で通過する所だが、外側を歩く。出口側にある説明板によると、『ここは800年余り前の古戦場で、有多宇末井之梯(うとうまいのかけはし)と言われた通行の難所。津軽と南部の境だった。文化年間にわずかに岩中を開削したが、明治9年、明治天皇の東北巡幸を機にトンネルが開通した。』との事。小さなトンネルだけれど、こんな歴史があったのだ。びっくりです。

 久栗坂の集落に入る。海岸からすぐの所に家々が建ち並び、津波が押し寄せたら、と思うと他人事ながら心配になった。道端に『水準点』の石柱もあり、標高の基準になっている所のようだ。『久栗坂』という地名が気になり、あとで検索してみたら、大きな岩の下に洞窟があってそこを潜りぬけた事から『潜坂』になり、転じて『久栗坂』になったらしい。又、久栗坂石は石材に使われる安山岩で、久栗坂から野内にかけての海岸で採石される。値段は150㎜×400㎜で118,000円。若い頃岩登りの訓練で野内に行ったが、今は崩されてしまってその岩がほとんどない。どこかで石垣や敷石になっているのかも知れない。

 野内のガスタンク(正式名称は分からないが、昔からそう呼んでいる)まで来て、又、海岸に下りた。いつもは青森側からガスタンクを遠くに見ているので、ここからの眺めはちょっと不思議な感じだ。海岸近くは湿地になっていた。ぬかるみに足をとられないように、歩けるところを探しながら進んだ。昔、上北鉱山の鉱石がこの辺に運ばれたんじゃないかというので、痕跡を探してみたが、残念ながら見つからなかった。貴船川の河口では白魚を捕っていた。

 県道259号に出るとだいぶ見慣れた景色になる。が、ゴールはまだまだ遠い。元気な皆さんの話を聞きながら、ひたすら歩いた。野内川を渡り原別を通過して合浦公園を横断し、堤川に架かる石森橋まで来て、やっとあと少し(と言ってもいつもなら当然バスに乗る距離だが)。残りの力を振り絞って午後440分過ぎ、今朝出発したホテルサンルートに到着した。帰宅して歩数計を見てみたら26.682㎞,38,118歩だった。


≪歩いてみて感じたこと・思ったこと≫

・何気なく車で通り過ぎていたところも、歩いてみると思わぬことに遭遇したり気づきがあったり、非常に面白い。郷土史などまるで関心がなかった私でも、興味をそそられるところが沢山あった。

・残念なのは海岸のごみ。どこから流れ着いたのか、途切れることのない大量のごみに、心が痛んだ。

26km歩き通すことができて本当に嬉しかった。けれど、一人では絶対にできなかった。チャンスを与えて下さった歩く会の方々、一緒に歩いて下さったSAKAMOTOさん・NARITAさん・TUJIMURAさんに心から感謝です。ありがとうございました。

・後日、東奥日報に『131kmを歩き、大湊駅にゴール』の記事が、残雪の八甲田を背に陸奥湾沿いを北上する8人の写真入りで出ていた。すごいです。私は1日目だけでもへろへろだったのに、6日間、歩き通したのですから。これから続く第2回目から6回目までも成功するよう、願っています。そして、種差海岸から岩手県境までを歩く回で、もう1度一緒に歩かせていただければと、虫のいいことを考えたりしている。